こころのふるさと(13) 子供の頃の写真と思い出

1.小学生時代の3枚の写真

    馬齢を重ねれば重ねるほど、時として子供の頃を思い出すことがある。記憶にあるのは大体小学4.5年ごろからのことである。それ以前のことはあまり思い出せない。

それでも一枚の写真だけでも忘れていたことがよみがえり思い出されることがある。写真の魔力であり不思議なものだ。

     子供のころの思い出の多くが写真の有無によって大きく影響しているように思う。もっと今の時代のように写真やビデオ映像があれば、それにつながって思い出されることがかなりあると思うがどうであろうか。

     私の場合、小学校時代の写真は3枚だけである。残念ながらそれ以前のものはない。生まれた時の写真もない。兄姉たちもそうであるからそれが普通だと育ってきた。勿論、自分の集落には写真屋さんはなかった。こうしたことは生まれた昭和10年代の田舎における普通の家庭の状況であり、そのような時代であっただけのことである。

 したがって小さいころの写真はないので、自分に関することは家族から聞いた話が自分の記憶に残っているだけである。自分の脳裏そのものが写真の役割を果たしてきたことになる。

    このたった3枚の写真を見るだけでも当時のことが少しづつ思い出される。

    今の時代は、どの家庭にもカメラやビデオがあって子供時代を映像にに収めることができるが、昭和の10年代は小学校の入学式、卒業式ぐらいしか写真を撮ってもらう機会がなかった。大東亜戦争中と戦後であり、貧しい時代であったが不幸な時代ではなかったと思う。

   子供時代の 写真がないからと言って、いまだかって一度も不幸だと思ったことがない。それよりか故郷鳥取のわが集落・宇野の海山を舞台に、伸び伸びと豊かに自然の中で遊び跳ねた子供時代に感謝している。写真こそないがそれを上回る子供の時にしかできないことをいっぱい体験した思い出があるからである。 

 

2.  カメラが貴重品であった時代

     昭和10年代当時、集落や友達の中でカメラがあったという記憶がない。あるとすれば名家尾崎邸ぐらいであったであろう。カメラというより「写真機」というのがピッタリであった。写真は写真屋さんに撮ってもらうものだと思っていた時代に子供時代を過ごしたせいか、写真機そのものに特別の関心を持つことはなかった。

 それが昭和30年6月航空自衛隊に入隊し、第一期操縦学生基本課程で同じ区隊の山脇利雄君(元日本航空パイロット、音楽コンサ-ト運営など企画運営で活躍中)が最新式のカメラを持ち、しかも写真に色を付けてカラ-写真を始めたのにはびっくりした。これに影響されたのか次第に写真に興味を抱きカメラがほしいと思うようになったと記憶している。

     当時、カメラは高価で貴重であつた。昭和32年頃初めて自分のカメラを手に入れたように記憶している。自衛隊の隊内生活ではカメラ、時計の類は「貴重品登録」をした時代である。もちろん質屋に行けば相応のお金も借りられた。

 今風でいえばカメラも若者の一つのスティタスを表すものでもあり、肩にカメラをかけて外出すれば結構きまって、格好良かった時代である。いつの時代も流行があり、カメラがその役割を果たした時代もあった。

 

3.思い出の家族写真

  子供時代の写真は、親がぜひ撮ってやって欲しい。自分の力で記録を残すことができないからである。

    過日、神久呂学校の学習発表会に行った際、カメラで録画する親の多かったのには驚いた。撮影場所まで用意されていた。子供の様子を映像で記録することはよいことだと思う。きっと子供には喜んでもらえる時がやってくるであろう。

 振り返って、自分のカメラを持つようになってからの写真は相当たまっていった。ただ自分で現像・焼き付けするほどの腕はなく現像・焼き付けはもっぱら写真屋さんにお願いするばかりであった。 

 自分の子供に対しては写真だけで、残念ながらビデオの時代ではなかった。今やデジカメ、ビデオ等をパソコンでいくらでも入力保存できる時代となった。私も普通のものは自分のコピ-機で印刷している。便利な時代になったものである。

 この間、あるテレビ番組を見ていたら、胎児のときのビデオ記録まで発展している時代だけに、ありがたみが薄れるかもしれないが、記録が残れば新たな未知の世界について親子で思い出を語ることができるかもしれない。

有難い時代になってきたと思う。

 

4.  私にとっての最初の写真

 昭和17年4月宇野小学校(当時「国民学校」と言っていた。」入学のときの写真が第1号である。全員で29名、男子6名、女子23名であった。服装、体格・身長・幼顔などから全員を思い浮かべることができる。「ちゃん」呼びした時代である。

 人生できるだけ明るい思い出が多ければよいものだ。子供のころの豊かな思い出は人生にとって有益であることをつくづく感じる。今の時代は親にとっても子供にとっても恵まれた時代ではなかろうか。孫たちの幸せに思いをはせながら子供にとっての写真・ビデオが将来どんな風に役立つのかを考えてみた。私の時代より新たなる発展があるのであろうか。子供にとって写真・ビデオはどんな役割を果たすであろうか。

 

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 《 小学1年入学時の記念写真である。昭和16年12月8日大東亜戦争が始まった翌年入学であった。男子は植田(伊藤)博君・蔵本康雄君・古田喜代造君・松村喜一郎君・坂本弘行君・濵田喜己君の6名であった。》