浜ちゃん日記  花と人いろいろ

1.カメラを通じて観る花

    花は観る場所・環境によってかなり違うものを感じる。大きく分けて屋外と屋内、山野の自然なもの・花畑・花壇で生育したものと温室などで栽培されたものなどである。

     趣味としてカメラを通してこれらの花を撮っているが、有る程度範囲を限定している。

    カメラ対象を、どの花が良くてどんな花が悪いと言ったものはなく、要は自分の好みで自由に選択すれば良いと思っている。

    カメラを始めたばかりの初心者・新参者であるが、先輩の皆さんに教えていただいたり、合評会を通じて花と人について考えることも多くなった。

 

2.  最初、 私が撮りたかった花

    私の場合は、すべて屋外、それも自然界のあるがままの状態、雨風雪に耐えてきたそのままの花の様子にカメラを向けることが好きである。

    それは写真を始めた動機が大きく影響しているようだ。7年前「花いっぱい活動」を立ち上げ、活動成果として各種の「花コンクール」に応募するには花畑や活動状況を写真に撮って記録して提出することが必須要件であったことである。

    まず写真自体によって審査結果が左右されることもあるので、折角応募するのであれば、出来るだけ良い写真を撮って参加したいとの思いから始めたものである。

    一方、花活動に誘発されて、花と最と広く深く撮ってみたいと思うようになってきた。

   これらは 別の視点から見ると、子供の頃海山野で遊び親しんだ自然、自分の育ってきた時代や環境が大きく影響しているように思われてならない。

    今は、自分たちの育てた花畑の花を中心に撮ることに重点を置いている。

 

3.  あるがままの人の姿

 人は美しいものへ憧れるものであるが、歳を重ねるにつれて美意識も変わってくる。

    自然界にある生きとし生けるもの、生あるものは必ず老いる。自分がその年齢になってみて老いることがどんなことか分かるようになった。

   人の風貌・容姿も同じである。年輪を刻んだシワのある顔、白髪など歳相応になってくる。腰も曲がってくる。自然の哲理を受け入れざるを得ないのである。格好が悪いと見えたとしてもそれが人間の本当の姿である。

    人は歳を重ねるとそれなりの美しさ、落ち着きと安定感がでてくるものだ。

    高齢の女性が白髪になるのは当たり前で、むしろ美しいと思うが、わざわざ黒く染めたりするのを見ると惜しいなぁと思うことがある。

    これは物の見方の違いであろうか。男性だからそう見るのであろうか。

    人は必ず歳をとる。「 歳相応」の風貌・容姿が素晴らしい。幼児期、少年少女期、青年期、壮年期、熟年期、老年期等々にその時でしかないものがあるからである。そこに光り輝くものがあるはずである。

     これらについて、性別、年齢、個人によって見方や考え方が異なるも当然のことであろう。それでよいではなかろうか。

 

4.新しい視点での花を捉える

    花の一生と人の一生を考えてくると、今までは花の一番の最盛期や美しいところだけをカメラに収めてきたが、この頃は、発芽から枯れて行くまでを対象にして、いかにこれを表現するかを考えるようになった。

    綺麗な花を綺麗に撮って表現するのは当たり前で、むしろ役目を果たし 枯れた花を撮ったりして自分なりに表現できなかと考えることがある。それがどの程度上手くできるかどうかは分からない。どれだけの感動を呼べるかどうか分からないが挑戦して見る価値がありそうだ。

     カメラを通じて、単に写真を撮るだけではなく、いろいろと考える機会を与えられたのは、新しい発見であった。 人生長生きをすればまだまだ別世界が覗けるかもしれない。 やりたいことはあるが、歳と健康、体力、意欲がどこまで続くのか自分にもわからない。

 

ある日の病院談話室の花

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早朝の霜におおわれた茶畑

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