こころのふるさと(12) 故郷の歩みを知り伝えること

1.わがふるさと宇野

    鳥取県のほぼ中部に位置するわが故郷は、湯梨浜町(羽合町)宇野である。日本海と山に囲まれた小さな集落である。人情豊かで、尾崎邸、安楽寺、ダキの水、盆踊りなど歴史のある集落である。

    東南西三方を山に囲まれた盆地の集落、日本海の波の音を聞いて育った祖先は営々と開拓と文化の歴史を築いてきた。

   平野部の少ない面積2.67k㎥の宇野村は古くから拓け、小さい村・集落とはいえ教育の振興に情熱を注いだ先覚者がいた。この薫り高い伝統文化を残し記録・継承する事業が時代ごとに行われてきたのは特筆に値する。

 

2. わがふるさと「宇野」の歴史

     昭和30年2月、生まれ育った鳥取県東伯郡羽合町(湯梨浜町)の宇野を後にして自衛隊に入隊して以来、防人の転勤族として全国各地で勤務してきたが、いつも子供の頃に過ごした故郷のことが思い出されたものである。

      どの地に勤務をしようと 、羽合町や宇野に関する歴史資料は 関心をもって収集に努めてきた。

    「宇野村郷土誌」「宇野の歩み」「宇野小学校100年のあゆみ」などである。これらは亡くなった義兄元羽合町議会副議長水野譲の尽力と姉水野節子のお陰であった。

 

3.わがふるさと「宇野村郷土誌」谷田亀寿氏編

   「宇野村郷土誌」昭和12年版宇野校編は故谷田亀寿先生の編纂によるもであり、171ぺ-ジ、谷田先生が永年研究された歴史学的貴重な文献である。昭和51年に複刊された。   

    亀田先生は大正11年春から昭和12年春に至る15年余の長き間、宇野小学校で教鞭をとられた。その間寸暇を惜しんで郷土誌、特に考古学の学究にはげまれた。

 在職の記念にこの郷土史を残しておきたいと執筆されたといわれている。当時の社会環境を思う時、これだけの事業を成し遂げた立派な先覚者がおられたことに驚くばかりである。

 先生は人情厚く、学校教育はもとより、常に村の人たちに和合し、村民も先生を敬愛していたといわれている。私も子供のころお姿を拝見し、先生の偉業の話は兄姉から聞いて育った。

 

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《 「宇野村郷土誌」の復刊 昭和51年11月 》

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《 「宇野村郷土誌」 昭和12年 宇野校編 》

 

4.わがふるさと「宇野の歩み」中村祐一氏編

   新しいものとして、「宇野の歩み」が平成20年1月 宇野出身の中村祐一氏によって編纂された。

    中村氏は農業の構造改革事業、機械化農業の推進役として活躍し、昭和57年定年退職後農業に従事する傍ら宇野の農業の変貌を目のあたりにし、如何する事も出来ないもどかしさからせめて、宇野の昔をまとめたとのことである。 

 この中には私の子供のころの宇野の状況が記録されているが、高校を卒業して故郷を離れて以来のことは知らないので、郷土がどんな歩みをしたか知ることができた。248ぺ-ジの労作に、時移りわが故郷の歩みを後世に伝承する偉業をやりとげた人材がいたことを嬉しく思う。

 

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 《 「宇野の歩み」  中村祐一著  平成20年2月発行 》 

 

5. 開校100年の宇野小学校の歩み

    手元に「宇野村郷土史」「宇野の歩み」とともに「宇野小学校100年のあゆみ」がある。昭和54年4月鳥取県東伯郡羽合町宇野公民館 創立100年のあゆみ実行委員会編集・発行によるもので、よくぞ宇野区の先人たちはこうした貴重な歴史を残してくれたものだと思う。

 宇野の教育100年を静かに見守ってきた小学校跡地に再び文化の殿堂として宇野公民館が建設された折、父母や祖父母たちが苦しい営みの中から宇野の教育を守り育ててきた百年の歴史を綴ったものである。

     明治7年開校以来から昭和48年廃校までの100年間が記録されている。  私や親兄姉はもとより集落全員、初期の頃を除けば、全て卒業時の写真が収められ、82ぺ-ジに及ぶ記録である。

    小さな集落・村であっても住民の団結力があって、こうした歴史を記録として残す事業が行われたのであろう。

 時の「宇野小学校創立100年のあゆみ実行委員会」は、委員長尾崎晴朗(宇野公民館長)、副委員長安田廣治(宇野区長)、編集委員は水野譲・尾崎宗春、校正委員は坂本治四郎・尾坂勇、委員は松村春正・竹中節蔵・安田清美・西村喜好・竹中勝登・水野彰・伊籐博次・尾坂克文・浜上義人・尾崎槙雄・小泉八州雄・尾坂勝利・伊藤久松・本田忠義・蔵本一幸・蔵本孝弘・松村照夫・木村清子・本田和子の各氏であった。

     編集・印刷、発行すること自体が大変なことである。本当にたいしたものだと感銘を受けたものであった。

 

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《 「宇野小学校100年のあゆみ」昭和54年4月発行 》

 

 6.  第2の故郷「神原町の歩み」

    どこの町にも、それなりの歩み・歴史がある。多くはふる里誌など何らかの形で編纂され記録されている。

    私が、故郷を離れて、自衛隊で勤務し全国各地で勤務し、平成2年定年定年退官したあと、浜松市西区神原町に住んで、「神原町」の歴史を知りたいと思った時、神久呂公民館と市図書館にある平成4年編纂の「ふるさと神久呂誌」で調べる以外に方法がなかった。

    平成17年度から3年自治会長も務めさせていただいた時、自治会の申し送り資料にも一冊の「神原町の歴史に関する資料」は見当たらなかった。

何としても、自治会として神原町の歩みを記録保存したいと強く思ったものである。  

 ときあたかも神原町誕生50周年に際して、「神原町まちづくり構想」に基づき「神原町の歩み」を神原町自治会として編纂・発行することとなった。

 全町民の協力支援により資料収集・編集・印刷、神原町全世帯へ無料配付することがてきた。 各家庭に1冊でも配付されておれば、どんなに年月が経っても必ず何処かに記録が残って受け継がれて行くだものである。

 執筆は私が担当したが、経費とのかね合わせで草案からかなり写真等を割愛した。今や時代の変化・推移は極めて速くなって来た。その後の神原町に関する資料を丹念に整理して保存する必要がある。

    将来、いつの日か平成20年10月編さんの「神原町の歩み」が土台となって、「神原町の歩み」が再編されて充実することを期待するものである。

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《 神原町誕生50周年記念誌「神原町の歩み」平成20年10月 神原町自治会編纂・発行 》