浜松市西区の神原町(かみはらちょう)は、昭和30年誕生した。古くて新しい町である。
神原町に住むようになったのは、昭和30年自衛隊に入隊し、35年余の勤務を終えて、平成2年定年退官した。家内の故郷浜松・神ケ谷の縁あって、平成3年神原町に終のすみかを建設したからである。
2. 自治会役員の縁に出会う
平成3年神原町に自宅建設し、ここで生活しているうちに、いつしか自治会隣保班長が回ってきた。その後町内の事も分かるようになって推されて平成9年度自治会部長の役が回ってきた。
約130軒の部長となると自治会3役と一緒に自治会業務をこなすことになるので担当部内のことはもとより町内全般のことが分かるようになったのである。
自衛隊退官後は自算会に勤務しており、最も忙しいときであったが、平成9年度には部長の業務をこなした。ときには休暇を取ったりすることもあったが、文書の各班への仕分け・配布などの仕事は家内が支援・分担したりして二人三脚でこなしたこともあった。
こうした自治会業務を経験して、平成15年4月自治会副会長2年、17年4月第24代神原町自治会長に不肖濵田喜己も就任することになった。
3. 自治会長就任後すぐに取り組んだこと
自治会長任期2年を予定し、どうしても在任間にやり遂げたいことが4つあり、なんとしてもやり遂げたいと決心した。
自分の過去の知識・経験、健康、体力気力を考えて、ぜひ取り組んで微力ながら自治会の充実発展に貢献できればと考えた。
実際は3年間自治会長を務めることになり、「神原町まちづくり構想」を合わせて、町民の皆様、役員諸兄の協力支援をいただいて、幸い自分の思いが達成出来て満足し、町民の皆様に深く感謝しています。
どうしてもやり遂げたかったことは、
① 自治会運営及び役員業務処理要領の制定
②情報連絡紙「自治会だより」の創刊・発行
③自治会活動の記録整備と保管の確立
であった。
4.自治会運営及び役員業務処理要領の制定
自治会副会長を2年間経験して、確たる業務処理要領が明文化されていない面が多かった。長年の慣習とメモランダムが受け継がれてきており、規定標準化したものが必要と考えた。
明文化した要領があれば、逐次改善をして行けば充実したものが確立できるからである。
各人まちまちのやり方ではなく、標準化されたものになれば、業務の能率が・効率化に資することができる。新旧役員の業務の引き継ぎが円滑にできると考えた。
この腹案は、副会長在任間に練りに練って準備した。現行を基本に改善を加えて、無理がないように整合性を図った。
自治会長に就任して、規定の充実を図りながら、早速、「自治会長用」「副会長用」「部長・会計用」「班長用」を作成し、役員全員に関係のファイルを配付した。
ファイルは加除形式として、役員の役柄に対応した内容とし、自治会に関する運営と役員業務に必要な規定・実施要領、参考資料を全部収録した。
これらは時代とともに規定・実施要領の変更があるであろうが、最新の状態に維持管理して行く事が必要であろう。
その実行の鍵は、自治会長の考え方と熱意にかかっている。継続することの難しさはいつの時代も同じである。
自治会運営の円滑化と役員業務の引き継ぎ、業務処理の円滑な実施を考えると、ファイルの整備に努めていただきたい。
歴代の自治会長によって、 現行よりさらに内容の充実改善を図り良いもにして欲しいと乞い願うものである。
( H25.12.5ブログ「自治 会活動(10)自治会運営及び役員業務処理要領」で記述 )
5 情報連絡紙「自治会だより」の創刊・発行
これも自治会副会長の間に、腹案を作っておいた。これだけの情報社会がやってきたのに、自治会の業務の進展状況、諸問題の地取り組みを含めて、情報提供と連絡事項をタイミング良く伝えるため「自治会だより」を発行して行くべきだと考えていた。
他町自治会の状況など資料収集を行い、準備を進めた。編集発行については、自衛隊時代、OBになってからの「浜松支部だより」の創刊・編集発行で十分経験を踏んできたので自信を持って着手することにした。
何もないところに新しいことを始めることは、従前からしばしば経験したことで、諸々の問題をこまめに解決して行くのとにした。
情報連絡紙がその後、2代の自治会長に引き継がれて、継続発行されていることは嬉しい限りである。
時代と共に、編集形式が変わろうと町民に自治会活動等の状況が適時適切に情報提供されることは重要なことである。
毎月定期的に編集発行することは大変なことではあるが継続発展することを願って止まない。
(2013.7.6. 情報・連絡紙あれこれ(3) 町の情報紙「自治会だより」に関連記述)
6.自治会活動記録の整備 と保管の確立
誰でも自分の最も専門・得意な分野があるものである。今までの知識・経験を活かして少しでもお役に立てればこれに越したことはない。
かって航空自衛隊の第3術科学校で、総務・人事・要務の術科教育担当科長をし、自衛隊の文書管理を教えたこともあるので、自治会の業務に関係して、いの一番に自治会活動記録と保存かどうなっているのかが目につき、「自治会活動の記録と保存」整備の必要性を認識した。
それは神原町が誕生して50年の歴史があり、神原会館も出来て十数年を経過していたが、しっかりとした保管場所と書庫があって当然であるが、不思議なこと手付かずであった。
役員は担当業務の過去から現在に至る全部の書類を衣装ケースに入れて引き継ぐやり方であった。 こうした書類は全部が自宅保管場所であった。何箱も預かることになる。
そこには自治会の記録と保管について、何の原則もなく、ただファイルに綴り込む方式であった。
従って、その時の当事者のやり方で、適当に書類が保管され、時には勝手に廃棄処分されていた。
誰に責任があるのではなく、その背景には、
①自治会の業務運営に関する記録は公的なものであるとの考え方が確立されていなかった。
②文書管理について関心が薄く、項目分類別にファイルし、活用面、検索の便利性が考慮されていない。
③自治会の備え付け書類の目録、保存対象範囲・保存年限が明確でない。
④会員登録に関する書類、特に個人情報、財産、会計帳簿等を保管するカギの掛る書庫がない。
⑤公的に記録保存すべきものと参考として個人的に持つ資料との区別が曖昧である。
自治会の活動記録は 神原町の歴史の記録でもある。営々と記録保存したものは、必ずや未来に役立つものである。
自治会の運営に関して作成したものは、個人的なものではなく、全て公的なものであるとの認識を持つことが大切である。
この考え方を自治会役員が持てば自ずと自治会活動記録の整備のあり方、保存の必要性を説くまでもない。
また、地縁団体として法人格の自治会としても、会員名簿、規則、議事録、財産書類などの備え付けと保管は求められているものである。
自治会長3カ年の在任間取り組んだことは、「神原町まちづくり構想」の策定と実行にあつた。
その中で当然のことであるが、神原町50年誌の編纂が話題になった。それと並行して自治会の活動の記録保存の必要性を痛感した。
自治会の活動記録は神原町の歴史そのもの記録に他ならないからである。
50周年記念誌の編纂に当たっては、編纂の目的、編纂方針、編纂要領、項目内容などを決めて着手した。
資料が少ない状態から出発したが、長老の聞き取り調査、自治会資料からの整理収集、図書館等での文献などによる調査、浜松市役所の記録の閲覧による資料収集であった。
特に、印象に残ったことは、自治会記録など個人で保管しておられるものも多かったことである。
皆さんからは快く協力提供していただいた。個人の所有に関わるものについては、了解頂いて複写させていただいた。
神原町の歴史を調査するという明確な目的と自治会長という立場であったから資料収集が容易にできたのではないかと思う。
調査・資料収集を通じて、実に町における自治会長の権威と力の大きいことを知ることとなった。それは自治会総会で全員一致で選ばれたことにある。それだけ重い職務と責任を担っていることの信頼である。
私の後任の自治会長縣弘氏が中心となって、不足部分の補正等が行われ発行される運びとなった。
神原町50周年記念誌「 神原町の歩み」が、一冊の本となって全世帯に配布された時は感無量であった。
収集した資料は全て整理し、自治会書庫に保管された。経費も従前から準備しておいたので、無料配布となった。
経費節減の関係で、カラーは白黒とし、枚数を削減したが、全てDVDに収録してあるので、将来日の目をみることがあるかもしれない。
将来、次の機会がやってくるであろう。この記念誌が基盤となって、更に充実した神原町の歩みが編纂されることを期待するものである。
どんな形であれ、わが神原町の歴史を残すことは大事な事業であり、いつの時代でも誰かがやらねばならないものである。
《 神神原町治会運営及び役員ぎ業務処理要領 班長用 》
《神原町誕生50周年記念 神原町の歩み 平成20年10月 》