永住の地に自宅建設
平成2年4月に35年余の自衛隊勤務を終えて新しい人生の船出をした。
取りあえず、浜松の家内の実家の空き家に住んだり、別の借家で暮らしたりし、家内の里である浜松市西区神原町を永住の地と決め、自宅建設を進めるかたわら、自動車保険料率算定会静岡調査事務所の仕事に電車通勤しながら励んだ。
自算会の仕事にも慣れた1年後、浜松の調査事務所へ転勤となった 。 自宅建築も出来上がり、新居から仕事に出かけるようになった。
自算会調査事務所の仕事は、業務担当、課長、所長となり、一方、隊友会浜松支部副支部長、支部長、さらには浜松鳥取県人会長と公私にわたり多忙な毎日であった。
この間、地域にも溶け込み土地に根ざした生活を確立することができた。
自治会部長と住処・地域への思い
平成8年末になって、地元自治会の部長へと請われ引き受けることにした。平成9年1年間で 担当は約150戸ほどであった。
頭をよぎったのは昭和52年から54年にかけての小松基地勤務時代の「十年会」とのかかわりであった。また、自衛隊退官時に胸に秘めた「将来機会があれば地域に貢献していきたい」との決心であった。
ためらうこともなく、地域に住む限り、何らかの奉仕をすることは当然であると考えていたこと。終の住処となるならば早くその土地に馴染む方がよいこと。自治会の部長業務を通して地域のことを理解勉強することが出来ると考え快く引き受けることとなった。
あらゆる面で、ちょうど油の乗り切った頃であつた。忙しかったがそのことがかえって気持ちを動かしたように記憶している。
自治会部長業務の経験と地域愛
神原町自治会部長は、平成9年度の1年間であったが、自治会の諸問題、業務運営、処理はもとより町内の現況を理解することができ非常に良い勉強になった。積極的に受け止めて 自分なりに精一杯やったことを覚えている。
特に、自分が将来自治会に関わったった時には、何ができるか、どんなことで貢献できるかを把握することができた。
生まれ育った郷里・鳥取については浜松鳥取県人会の活動を通じてささやかでも果たしてきたが、自分の住む町に少しでも奉仕することが郷里に対する恩返しでもあった。
自治会副会長への就任
自治会部長後、しばらく間があったが、元自治会長の先輩の勧めもあり、選考委員会の推挙により、 平成15年4月から16年3月間で2年間、神原町自治会副会長をやらせていただいた。
本自治会では、副会長 に次いで自治会長をやることになっていた。
副会長ともなると、会長の補佐を通じて町内全般を掌握、承知することができる立場になった。
自治会長への準備と腹案
時の自治会長澤井徳澄氏は、この土地の名家で若い頃から町の指導者として目された人であった。
自治会業務はすべて同行・誘ってもらい細部を理解・承知することができたのである。 実によく配慮していただいたものである。感謝している。
副会長の立場は、会長を積極的に補佐することにあり、虚心坦懐につかえるにあるとの考えであった。
会長の考えにそって活動する事が大事でありそのように実行した。
また、澤井徳澄会長が神久呂地区連合会長を兼務することになり、多忙のため、神原町自治会のかなりの部分を会長の意を受けて実行することになった。
副会長の全期間、会員への配布文書、市への要望書の作成等は全て自分でパソコン処理したりしてさらに一層勉強する機会が与えられた。
公私にわたりかなり忙しくなったが、その分、自治会の 問題点、将来の改善の方向、あるべき姿へのアプローチへの方法・手段などが見えてきた。
副会長は、神原会館・公会堂の管理、各ごみ集積所の管理見廻り等があり、多忙であったが無事に勤めることがてきた。
私にとっての副会長の在任間は、会長補佐と自治会長への助走期間であり、やるべきこと、やりたいことをしっかり準備し腹案を固める時でもあった。