「羽合」・「はわい」と言う町名
鳥取県の中央部に位置する「羽合町」(はわい)は、戦後まもなく3村合併によって「羽合町」が生まれ、40年ほどたって、さらに平成の3町村合併によって「湯梨浜町」(ゆりはま)になったのである。
私が航空自衛隊現職時代最も多く使ったのは、「はわい」ということばであった。
テレビ風に言うならぱ、「葵の御紋」のようなものだった。
先ず自己紹介で.「羽合(はわい)出身」のいえば、「お前がハワイ?」と、みんな怪訝な顔をして注目する。
そこで間髪をいれず、日本の正真正銘の「羽合町」出身たることを述べれば、郷土をPRし、かつ自分を紹介するのに、効果絶大であった。
耳から聞いても、目から見ても、「ハワイ」と結びつき、世界的な意外性・連想とカタカナで呼べた簡潔明瞭さがあって、すばらしかった。
新しい町名が出来たとき、残念の一語に尽きた。
申し訳ないが、今は使えない。「はわい」という名前が少し残ったのがせめてものなぐさめとなった。
ふるさと「湯梨浜町」の発展
こうしたことから 町名に関しては、本当に残念であったが、現代の人たちはそれを乗り越えてもらいたいものである。
それは20数年経っても町名と地名との差がいかに大きいかを今更ながら感じるからである。
世界・ 全国的にみるとき、過去の経緯はともかく、今後「はわい」という言葉をいかに有効に使うかが郷土の発展につながっていくものと思う。
人々の関心・興味・注目を引くということがまず大事で、そこには理屈ではないものがある。説明をしなくても一瞬のうちに分かる短い言葉だからである。
「湯梨浜町」は文字通り、立派な町名である。温泉・二十世紀梨・海岸、砂浜を連想できる、させる町名である。
「はわい温泉」が「東郷温泉」と並んで発展して欲しいと思う。
浅津小唄と「はわい音頭」
現職時代、私は郷土自慢となると、正調「貝殻節」や「関の五本松」のほかに「浅津小唄」を唄ったものである。若い時からレコ-ドを入手して覚え、自宅の湯船につかりこの小唄を口ずさむと、東郷池を中心に故郷の山野が目に浮かんできたものである。
このたび、かって羽合町が誕生してから出来た「はわい音頭」のレコ-ドを姉からもらってきた。
今のはやり歌でなくてもよい。ふるさとの情景がいっぱい織り込まれている歌詞が好きである。
私はいつまでもお国・ふるさとの歌を大切にしてこころのなかで歌い続けたい。
浅津小唄
《 この浅津小唄は、若い時から口ずさんできた。とりわけ歌詞の中に、時の城主「南条宗勝」とお城「羽衣石」が出てきたからであろう。それはわが家の屋号が「南条」であり、その一族郎党の末裔であったことが背景にあったように思われる。》
はわい音頭
《 都はるみの若々しい姿がある。》
《 今でいうお当地ソングである。この地区のいいとこが入っており、情景が浮かぶ歌詞である。当時の高名な作詞・作曲・歌手によって披露され、高齢の姉は今でも歌詞を見ないでも歌えるのに驚いた。歌と踊りがそれだけ多くの人に親しまれた音頭であった。》
《 はわい音頭の歌詞についた写真である。 これは今も昔も変わらない風景である。》