急な事でふるさと鳥取県湯梨浜町宇野に帰る事になってしまった。義姉の葬儀が終わって、ふるさとを離れる前にと、1月7日朝出発前に急いで集落を一巡してきた。
宇野区の名所
宇野区公民館の道路脇に宇野区の名所の案内板が立っている。
《 宇野 公民館前の名所案内掲示板 》
宇野地蔵ダキ(平成の名水100選)
宇野地蔵ダキについては、2013.7.16「わが故郷・鳥取県湯梨浜町宇野の名水百選・宇野地蔵ダキ」のブログで触れた。
やはり名水を一口飲まない事には心残りがするため訪れた。
さすが名水、心が癒された。家から200メートルほどの距離だ。子供のころは毎日飲んで、海で遊んでの帰りは全身がしびれるぐらい浴びた。スイカを冷やしたり、随分とお世話になったダキである。
この頃はあまりにも有名になって、名水を求めて訪れる方が多いとのことであった。トラックのタンクにいっぱい名水を積んで帰る人、乗用車で携帯タンクに詰めて持ち帰るなど名水は健康長寿の源となっている。
《 こどものころは「ダキ水」の恩恵を受けて育った。うまくて、冷たくて、おいしい水であること、この水はそこいらにある水とは違うことを子供心に知っていた。》
尾崎邸(庭園非公開)
尾崎邸については、2013.7.29「わが故郷・鳥取県湯梨浜町宇野の国指定名勝尾崎氏庭園」、2013.7.30「わが故郷・鳥取県湯梨浜町宇野の尾崎邸を活動拠点の山陰柴犬」のブログで取り上げたことがある。
子供のころ幼友達の松村喜一郎君と一緒に出入りした尾崎邸を訪れて外から見た。
尾崎邸は大邸宅だけに、囲いの塀が長く続いている。現在も子供のころの記憶とかわらなかった。70年の歳月が経ったが昔ながらに維持されている事に頭が下がた。
邸内のお庭は非公開とのこと。入り口から母屋をちょつとのぞかせてもらった。
遥か昔、尾崎益三氏令嬢が同級生であったよしみでご家族の計らいで宇野小学校同級会のおり庭園を見学させていただいたことがよみがえってきた。
《 尾崎邸母屋、白壁の左側の門を入ると庭園がある。年度末に積もった雪がまだ少し残っていたのが印象的であった。》
《 尾崎氏の門前に設けられた尾崎庭園の説明版 》
《 尾崎邸を囲む塀が、子供心にはものすごく長い長い壁に見えたものである。》
《 いつのころか子供のころ、尾崎邸内入口右側の大きな庭石が多くの人力で運び込まれたことを覚えている。その情景が今でも記憶に残り印象的であった。》
浄土真宗の東本願寺のお寺で、三ツ星盆踊りの会場となる。子供のころ境内の鐘つき堂を囲んで輪を作り踊ったものである。
現場に立って見ると、当時の情景が思い出された。
お寺の行事では、よく親に連れられて本堂でお説教を聞いたことがあった。これらは日常生活の一部となっていた。
《 安楽寺、境内には年末に降った雪が少し残っていた。お寺の催事には本堂に集落の人が集まりいっぱいであった。当時の情景が子供心に焼き付いている。》
三つ星盆踊り
三つ星盆踊りのは2013.7.23及び2013.7.24「わが故郷・鳥取県湯梨浜町宇野の宇野三ツ星盆踊り」でとりあげたことがある。
昔懐かしい踊りの輪の中に入って踊れることはもうないかもしれない。
《 安楽寺の境内、鐘つき堂を囲んで輪になって三ツ星盆踊りが行われていたのを記憶している。戦後まもなく老若男女が競って踊りにぎやかであった。こどもも輪の中に入れてもらい踊った。》
宇野区の集落
碁盤の目のように狭い道路が走っており、住宅が密集している。
高台から見ると昔は大部分が赤瓦であったと記憶していたのに、黒瓦が増えてきたようだ。時代の移り変わりを実感した。
《 宇野集落の一部 》
いぎす草
お正月にも、わが家では「いぎす」を作って食べた。
海草の自然食品で最高である。この地方では冠婚葬祭すべてにおいて、「いぎす」が食前にあがったものである。子供のころに食べたもの、ふるさとの味、母親の手づくりの味、生まれ育った自然環境は終生忘れないものだ。
人間って不思議なものだ。いかに幼児の時代が大事かがわかる。神羅万象すべてを含めて、まさに「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。
いぎすの 作り方は極めて簡単だ。いぎす草をよく洗い、ザルに取り黒いものを取り除く。鍋にいれ、いぎすを水の中に入れて煮たてる。沸騰したら弱火、中火にして練り上げる。糊状になった「いぎす」を容器に流し込み,冷蔵庫で冷やし,出来上がりだ。
刺身のように適当に切り、しょうが、辛子醤油、酢味噌、豆腐の白和えで召し上がると美味しい。
「いぎす」を食べると一層元気がもらえるから不思議だ。一年分のいぎす草を仕入れて帰った。