突然の訃報で、ふるさと鳥取県湯梨浜町の宇野への汽車の旅で感じたことは、「当たり前」と言うことであった。
私たちは、いろいろな場面で、「当たり前」の時代に生活していることを実感し、考えさせられた。
1 列車ダイヤが実に正確であること。
国鉄からJRになっても、変わらぬ世界に誇れるものは「定時定点」である。今回の旅でもしかりであった。本当に日本の鉄道はすばらしいものだ。
今も昔も、日本人全体が「当たり前」と思っている常識の「正確な列車ダイヤ」は、日本人の誇りでもある。
ものづくりと同じで、日本人の特性・気質からできることであろう。
2 精巧な自動改札機の運用
17、8年前、静岡への新幹線通勤時、自動改札機がしばしば故障することがあり、保守会社の担当者が一生懸命修復に従事している姿を見かけたが、今回の旅行では全く見かけなかった。
むしろ誤って乗継先の乗車券を入れたらストップしてくれたり、乗継時、乗車券、特急券・次の特急券の3枚を重ねて入れると、自動的に以前の特急券を回収して2枚だけが出てくる。
「当たり前」の時代になったと実感した。
3 高齢者にとって乗継時間がきびしいこと。
新大阪で新幹線からスパーはくとへの乗り換えは15分程度であるが、高齢者・身体障害者からすればかなりきつい。復路は姫路で新幹線に乗り換えることにした。30分の乗り換え時間があり、ゆっくり出来るからである。
高齢者にとっては、荷物を持っての乗り換えがいかに大変かを体験した。
「当たり前」の時代となって、忘れられないように、自ら能動的に考え、行動しないと、「当たり前」から取り残されていくようだ。
4 山陰への所要時間がまだまだ厳しいこと。
「 交通の所要時間は国力のバロメーター」である。 新幹線が逐次延長整備され、所要時間が短縮され、「当たり前」にその恩恵を享受することが多くなったが、山陰地方はまだまだの感を強くした。
特急が走り、昔に比べたら夢のようであるが、東海・山陽の「当たり前」と比べるとあまりにも大きな格差ができてしまい、改めて愕然とした。
この格差は、もはやJRの企業努力だけでは解決できないものであり、国家の施策に待たなければならないものだ。
「山陰線の新幹線化」も「当たり前」のことが、「当たり前」になったとき、解決された時こそ日本の国力が回復したと言える時であろう。