馬の年となった。静かな正月を過ごし、いただいた年賀状を読みながら今年一年に
思いをはせた。
元日午前お寺さん・洞雲寺にお参りし新年の挨拶をしてきた。今日は、地元の神原神明宮と賀久留神社に参拝し、この一年の平安を祈願した。
がんとの闘い
がんを患う人が多くなった。その原因はともかく、上手に付き合っていきたい。
昨年は左腎盂尿管全摘出、膀胱内の腫瘍除去と2回のがん手術を受けて、本年3月予定の内視鏡による膀胱内検査、CT検査の結果が第1関門であろう。
自分の身体であつてもどうにもならないもどかしさがある。このことは神様や仏様の領域と言ってよいであろうか。無事に乗り切れるかどうかは天のみが知る。
今までと同じように、自然体で、普通に食べ、普通にやるべきことをやり、普通に暮らすことにしている。
淡々とがんと向き合い付き合っていくのみである。嘆くこともなければ、悲しむこともない、恐れることもない。
今まで同様に、おおらかに、図太く生きていきたいと思っている。
生かされた命
自衛隊を定年退職したとき決意したことは、35年余国家の防衛という現役を終えたら、自分の住む地域で、役立つことがあれば奉仕ができたらとの思いで、今日までささやかながら実行してきた。
人に役立つこと、喜んでもらえること、地域に貢献出来ることがあれば手助けすることは、今年も続けていきたいと思う。
このことは、突然のがんとの闘いとは関係なかったが、生かされた命という点から見ると、一層自分の考えや思いをやり遂げたいと思う気持ちが強くなってきた。
病気になったからといって、自分の殻に閉じこもることはない。身体が動かないのであれば出来ないが、やれる時はやることにしている。
特別の悲壮感もなければ、義務感もない、今までの延長線上のことを普通にやるだけである。
やりたいことを一つづつやる
やりたいことはいっぱいあるが全部はできないので優先順位をつけて、やっていこうと思っている。
やりたいことが出来るのは幸せである。年金生活であっても贅沢をしなければ人並みに暮らせる。今の恵まれた時代、年齢,身体状況、環境だからできることがある。この点では本当に有難い。
ひと頃熱心にやった周辺の山登りや水泳、旅行も体調や引き受けた団体の業務処理でお預けにしてきた。やはり思いついたことはその時にやらねば、いつかやろうと思っても結局、出来ないものである。
今年の年賀状で、尊敬する先輩が気力・体力がだんだん萎えて、「どうでもよい」「やるきがなくなった」としたためておられたのが印象的であった。
あんなに意欲的に活動していた方がと老いることの切なさを感じたものである。
《 平成26年元旦 浜松市西区神ヶ谷町 洞雲寺境内掲示 》