隊友会活動(6)   殉職隊員の慰霊

殉職隊員慰霊祭の参列

    隊友会浜松支部長在任間(平成4年5月から平成9年4月)、浜松基地殉職隊員慰霊祭には万難を排して参列し、隊友を代表して哀悼の誠を捧げた。

 特に、私には同期生鶴井平君が殉職者名簿に名を連ねており、悲しみがひとしおでご冥福を祈ったものである。

 航空自衛隊第1期操縦学生の鶴井平君は、21歳の若さで昭和33年3月13日同期初の殉職者となった。彼は当時浜松の第1航空団所属のF86F学生であった。

 この日午前℉86Fによる垂直ダイブでの音速突破訓練で、引き起こしの際に主翼が荷重で吹っ飛ぶという、壮絶な空中分解によって天竜川河口南東約25キロの遠州灘に消えたのである。パイロットの遺体はおろか、機体の破片すら発見できなかった。

    関係者は、彼の制帽の裏に付着している、わずか数本の頭髪と虫垂炎手術後に保管していた盲腸の一部を遺骨の代わりにしたと伝えられている。(「天翔ける群像・第1期操縦学生の軌跡」第1期操縦学生徳田忠誠君編集)

 ちなみに、航空自衛隊においては、第1期操縦学生から鶴井平君のほか中村俊英(21歳)・渡部誠二(22歳)・増田隆介(22歳)・有馬愛ニ(29歳)の各君が殉職された。

    また、毎年.陸上自衛隊板妻駐屯地で挙行される静岡県殉職隊員慰霊祭にも同様に参列した。

    御遺族のもと厳粛に執り行われる慰霊祭は、任務遂行中志し半ばにして、最愛の家族を残して散った英霊に思いをはせ、これを無にしてはならないと誓ったものである。 

 

静岡県殉職隊員慰霊祭の県知事参加

    心残りな事は、支部長在任間及び 退任後も、私が知る限り、県民を代表する静岡県知事が静岡県殉職隊員慰霊祭に姿を見せられなかったことである。いつも代理の東部事務所長,防災監等であったことに心を痛めたことであった。

     静岡県警察官等の殉職警察官等慰霊祭には必ず県知事が出席され、県民を代表して哀悼の誠を捧げられている報道を見聞するにつけ残念に思い、これでほんとうに良いのであろうかと思ったものである。

    色々な事情や国家任務、殉職隊員が国家公務員とはいえ、静岡県に所在する部隊等に勤務中、殉職した英霊、遺族の皆様に申し訳ない思いであつた。

 静岡県隊友会副会長・相談役に就いてから、事あるたびに県知事のご出席を関係者にお願いしてきた。

     自衛官にとって最高のものは自己の生命をかけて任務に当たる「使命感」と「名誉」である。

     在県の御遺族、自衛隊員並びにOBはしずかに見守っている。 

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