神原町花の会・花美原会(64) ポピ-花だより

花美原会の花壇

f:id:y_hamada:20131212155653j:plain

 《 12月12日撮影、花壇のオキザリスは、厳しい寒さもなんのその、生き生きとしてやはり冬の花である。 植物の生命の神秘を感じる。》

 

f:id:y_hamada:20131212155551j:plain

《 12月12日撮影、千鳥草、寒さが早くやってきて芽が出ないかとあきらめていたら芽が出てきた。石ころに混じって厳しい環境ではあるがどこまで成長するか楽しみである。》 

 

花美原会の花畑

f:id:y_hamada:20131212155529j:plain

《 12月12日撮影、神原町のぽぴ-花畑、寒風にさらされ、じっと耐えている。花ラインの間の雑草はまもなく整理する。春には住宅地に花園が出現できればと夢が広がる。》

 

 冬来たりなば春遠からじ

  どこに出かけても花が少ない季節である。花畑のポピーも寒さをじっと耐えている感じである。  間もなく、お正月がやつてくる。冬来りなば春遠からじ、花壇をみると春の到来を待っている姿があちこちで見られる。

    12月14日は、花美原会が管理運営する花畑「花いっぱい区域」の除草作業を主体とした花協同活動が行なわれる。

    寒いときだからこそ、花を手入れをしてあげたい。きっと春になつたらみんなの期待に応えてくれるであろか。

  

 わが町の花と緑のまちづくり活動

  遥か昔、「わが町は緑なりき」という感動する映画があつた。 

   そこまではいかないが、昭和62年、今から25年前、形態は異なる緑豊かなまちづくりを目指した植樹活動が浜松市西区神原町で行なわれた。釜穴川右岸に沿って40米につつじ、さざんか等48本が植えられた。

    当時の神原町自治会長東條省治氏が中心・推進力となつて各団体が協同して植樹を行ったことが記録されている。

    東條氏のその発想と実行力に感服する。なぜならば、今では「まちづくり」は当たり前のことかもしれないが、当時の地域の状況から推察すると、かなり先進的な考えではなかったのではなかろうか。それだけに、「よくぞやつた」と思われる。それは 地縁のしがらみがなかった自衛官OBだからこそやり遂げられた面もあったのではなかろうかと想像する。

   現在から見ると、これがもっと町民の目のつく町通りであつたらと惜しまれてならないが、後追いの意見であろう。大事なことは「住民が力を合わせればかなりのことが出来る」ことの左証でもある。このように時代とともに花と緑のまちづくりの歴史がわがまち・神原町にあったことは大きな誇りである。  

f:id:y_hamada:20131208145334j:plain

《 先日、刑部団地下の釜穴川のほとりを訪れてみた。普段人通りが少ないが、さざんかが咲き春秋の一斉草刈りで道路が手入れされ綺麗になっている。神原町住民の町を愛する心が伝わる場所である。 》