自算会勤務と損保料率機構 静岡OB会

 損保料率機構 静岡OB会   
    毎年師走の月に入ると、損害保険料率算出機構及び自動車保険料率算定会静岡・沼津・浜松調査事務所に勤務した仲間が集まって、忘年会を兼ねたOB会をやっている。(静岡県下の自算会事務所は、逐次静岡・沼津・浜松を統合し、静岡の一か所にまとめられた。現在、損害保険料率算出機構・静岡調査事務所は、萩原所長以下51名、一般調査課は3課、後遺障害認定課は2課の陣容で静岡県全部を担当している。)
   今年は、昨日12月2日に行った。ここ10年来会場を固定し同じ場所で行っている。21名の参加上出来である。
    会場は、静岡市葵区伝馬町の「ホテルマイケル竜宮」、浜松から出かけたが、かつて毎日通勤した静岡だから苦にならない。行くべきところに出かけると言った感じである。
 
自算会調査事務所を選んだ理由
    平成2年4月1日航空自衛隊の退官し、翌日自動車保険料率算定会に入所した。
    当時、 全国各地に所在する 自動車保険料率算定会調査事務所は、各界の定年退職者・管理職経験者を採用しており、異業種の集まりでもあった。
   損保 業界の出身を除き、大抵の者は初めて経験する仕事であった。
      私が航空自衛隊を定年退官するに際し、自算会を選び採用試験を受けた理由は次の通りであったように記憶している。
1  公的な仕事に近い自賠責(自動車強制保険)の公正な運用という社会的な貢献ができる業務に從事できること。
2  自衛隊とは関係のない全く別の世界・未知の仕事に挑戦してどこまでできるかやつて見たかったこと。
3  過去の経歴・地位や経験に関係なく、最初から一兵卒・平社員からスタートする人事制度であったこと。 
    そのバックグラウンドに、当時先輩が多数勤務しており、話しを聞いて内実を確認できたことが大きいかったように思う。
 
転換期の激動時代の自算会勤務
   平成2年入所して数年を経ずして、自動車強制保険である自賠責保険も国内外の厳しい環境に対応して、その社会的使命に応えるよう改革の時代にさしかかっていた。
   特に後半の所長勤務は組織・業務の改革・改善の取り組みの毎日であつた。
    静岡調査事務所に入り、一般調査業務を習得し、医療調査を担当学んだ後、浜松へ転勤、今度は後遺障害を担当した後、認定医調課長、一般調査課長を歴任し、静岡調査事務所へ所長として古巣へ戻り3年間勤務、静岡と沼津との事務所統合を行い、再び浜松調査事務所所長として1年勤務し、次の静岡と浜松の統合の基盤づくりの最後の役目を終え平成14年3月退職した。
この間の仕事は厳しかったがやり甲斐があった。
    昨日も現職の萩原所長の話しを聞いて、時代が変わっても、新たな大きな課題に取り組んでいることが伺えた。
 
自動車保険料率算定会勤務の総括
     こうしたこともあって、自算会は思い出の多い勤務であった。
    自算会が自分の最初の志願・志しの通りであったことである。    
    自動車強制保険を通して社会にご奉公できたこと、自衛隊とは無縁の全く未知の仕事ができたこと、皆と同じスタートラインで始めたることができたこと、幅広い異業種の仲間と仕事ができたこと、人事管理等も適正に行なわれていたことなどであった。
 
    自算会で仕事をしてみて、人生の主軸をなした自衛隊勤務で培った、育ててもらった、経験させてもらった体力・気力・知識経験がこの世界でも生きてきたということであった。何事も動じることなく、自信を持って対処することができた。
自衛隊に足を向けて寝られないね」と家族は言う。まさにそのとおりである。そして、人生においてその時その時が大事なのだと思う。
  歳月はすべての苦労を忘れさせ、良い思い出だけが残ってくる。
    来年は12月1日と決まった。OB会も末席に名を連ねたのに、先輩諸兄が年々鬼籍に入いられたり欠席で、この頃は乾杯の音頭を取らされるようになった。
     来年もまた合おうと誓い合い散会した 。
 

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 《  12月2日撮影 昨年病に倒れ闘病中であった磯口さん元気になって奥さん介添えで出席感動した。歳をとると夫婦って戦友だね! 》

 

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《 12月2日撮影 新しいメンバ-も3名加わり忘年会も盛り上がった。》  

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《  全員の記念写真  みんな若々しかった。》