わが神原町(1) わたくしの夢・平成の「神原町の歌と踊り」を育てよう

浜松市西区神原町の「神原音頭」が育ってほしい!

 

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 《 神原音頭の作詞作曲は神原町の井嶋強氏 》

 

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《 神原音頭の練習風景 振り付けは神ケ谷町池谷なみえ先生 》

 

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《 神原町納涼祭における盆踊り風景 》

 

盆踊りに寄せる思い! 一つ大きな軸が欲しい!

 間もなく浜松市鳴湖の花火大会、先日は、浜名湖弁天島の花火大会、舘山寺温泉の花火大会等が行われた。自宅から毎年打ち上げられた華麗な花火が眺められた。

 距離はかなり離れているので、かすかに心地よい花火の音が聞こえてきて花火の展開を楽しんでいる。いい眺めだ。

 神久呂地区の西山・大久保・神ケ谷町のあちこちでも、納涼祭・盆踊りが行われる。

 ひと足早く、神原町の納涼祭・盆踊りが行われた。

 去る7月20日(土)夕方、神原町自治会主催の恒例の神原町納涼祭だ。町内の神原会館の駐車場で行われた。自治会長OBでもあるので、毎年参加している。とても盛大であった。

 自治会を中心に、青空子ども会・婦人会・祭り青年会が協力して運営されている。運営もみごとなものであった。

 毎年、いろいろと新しいものを取り入れて、子供たちの参加がいっぱいである。年々充実したものになっていくのを見るのは楽しい。

 盆踊りは、炭坑節など定番の者のほか新しいものが取り入れられていた。華やかさの中に、こうあってほしいという夢がある。

 それは一番大きな、どっしりとした軸となる「自分の町の踊りと歌」が必要であり、育ってほしいということである。

 どんなに有名な誰でも知っている踊りと歌であっても、その場では、本当の軸ではなく、おつまみか、補助的なものでしかないのではないかと思った。果たしてこれは自分一人の思いであろうか。

 

世界に一つしかない自分たちの「神原町の歌と踊り」こそ大事!

 神原町が誕生してから60年の歳月が迫ろうとしている。若い人たちが増え、これから発展する町だ。

 数年前に町民の井嶋強氏が作詞作曲した「神原音頭」は、今の神原町を表現している。この歌と踊りをしっかりとしたものにして、今後50年間ひたすら継承していけば素晴らしいものになるであろう。

 新しいものを取り入れた盆踊りがあってもよいが、あくまでも中心になるもの、大きな軸は地元の、自分たちの町の盆踊りが求められている。工業製品・農産物・工芸品にしても地元独特のもの、そこにしか育たないものが光っている。

 どことなく総花的で、特色のないな時代だからこそ、「神原音頭」を皆さんが育てていけば、きっとよいものになるであろう。

 このことは、共通してどこの町でもいえることではなかろうか。

 

親・子・孫と代々受け継がれれば「なくてはならぬものになる」! 

 私の育った鳥取県湯梨浜町宇野の「宇野三ッ星盆踊り」は、小さな集落の中で育った盆踊りであった。子供のころは大人の輪の中に入って踊った。

 今や無形民俗文化財にまで指定されるようになったが、盆踊りといえばこれ一つだけを踊っていた。今もそうである。これでいいのだ。だからこそ親・子・孫へと受け継がれることになった。

 

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《 私の出身地・鳥取県湯梨浜町宇野の「宇野三ッ星盆踊り」》

 

これからは若い次世代がつくり上げていくもの!

 最近、どこの町の盆踊りを見ても、いろいろな盆踊りのオンパレ-ドであ。ただそれだけである。その町のオリジナルな独特のもの、どこにもない、世界で一つの、自分の町の盆踊りをぼつぼつつくり上げていく時代に入っているように感じられる。

 これは若い世代だからできることだ。古い世代に遠慮したり、気にすることはない。50~60歳代の皆が中心になって活動すれば新しいまちづくりができる。わがまちはそれだけの活力と底力ある町だ。