1 山陰柴犬 人々が愛し守った郷土伝来の犬!
《とっとりnowから転載 ぴんと立った耳と切れ長の目が凛々しい》
❶ 子どもたちから親しまれた尾崎邸の名犬シロ!
昭和20年前後の小学生のころ、尾崎邸に子供たちが「シロ」と呼んでいた名犬がいた。尾崎家に仕えている人が村中をシロを連れてよく歩いていた。
実に安定感のある体型で、きりっと毅然とした姿勢を保ち、子供たちが寄って行ってなでてもじっと受け入れてくれて、おとなしくそれはそれは褒め言葉がないくらいの賢い名犬であった。
子供心にこれは立派な犬だと思ったものだ。故郷を思うとき、今でもシロの雄姿が目に浮かんだ。
平成2年、自衛隊退官後、故郷に少しでも貢献できることがないかと考えていたとき、「浜松・鳥取県人会(因伯会)」が結成された。また、それが縁で「とつとり友の会」に入会した。
❷「とっとりNOW」で宇野尾崎氏の「山陰柴犬」を知った!
《鳥取県総合情報誌「とつとりNOW」2011・vol.92の一部》
毎期送られてくる鳥取県総合情報誌「とつとりNOW」は素晴らしい内容だ。全部綴っているがその中に、2011・vol.92に「山陰柴犬・人々が愛し守った郷土伝来の犬」が紹介されていた。
子供の頃のことなので、「シロ」と[山陰柴犬」が一致するのかどうか定かではないが、尾崎邸に多くの犬が飼われていたことはよく覚えている。紹介内容からすると、私が接したこの多くの犬は「山陰柴犬」であったであろう。
この紹介記事によると、山陰柴犬を含めた日本犬は、何度も絶滅の危機にあったが、救ったのは犬を友とも宝とも思う人々がいたからだとのこと。
❸ 郷土伝来の山陰柴犬を愛し守った人々!
《鳥取県総合情報誌「とつとりNOW」2011・vol.92の一部》
明治期の文明開化とともに、輸入された洋犬により雑種化が進み、昭和初期、「このままでは日本犬が消えてしまう」と危惧した有志により日本犬保存運動が起きた。
その一人が、代々大庄屋であった尾崎家の当主。益三さんだった。
山奥の猟師の下に通うなど苦労して古来の姿を残す犬を探し出し、研究を重ねて郷土の地犬・山陰柴犬を復活させたとのこと。
尾崎益三さんは、戦後、宇野村村長もされた。温厚・謹厳実直で地域の振興に尽力された方であった。私の父親が村会議員・副議長をしていたこともあり、子どもながらお姿をよく覚えている。
益三さん・益三さんの息子弘恒さん夫妻のご尽力で順調に増え、「尾崎犬」といわれるほどまでになったとのこと。
山陰柴犬育成会のリ-ダ-である湯梨浜町の長尾節二さんが中心となって活動しており、宇野尾崎邸が活動の拠点となっていることを紹介していた。
2 自分の住む町に、自分なりの尽力をする!
どこの地域にも先覚者となる方がいるものだ。その土地にどっしりと根をおろして見ると、今まで見えなかったものが良く見えるようになった。自衛隊で全国各地を転々とした後、永住の地を浜松とした。
故郷の鳥取県湯梨浜町宇野を思うとき、それにもまして、自分の住む町・浜松市西区神原町が発展して欲しい。そのための尽力は惜しまない。命ある限りできる範囲のことを、小さなことでも続けていきたい。