わが趣味活動(1) 鍛えるカラオケから楽しむカラオケへ(1)!

 
ある日の一泊旅行で楽しむカラオケ!

仕事とかくし芸 十八番を求めて! 
 
 私の趣味の一つにカラオケがある。68歳で仕事を離れてからの自分にとって、「カラオケ」は本当の意味での趣味であり、生活の一部となった。毎週1回は気楽にカラオケを満喫している。
 思い返せば、昭和30年代から40年代にかけての現役時代は、ラジオ・テレビ・レコ−ドが主体であった。50年代に入って、カラオケが流行出したように記憶している。
 特に、印象に残るのは、余興・かくし芸?として、時代を先取りする流行歌・お国の民謡など自分なりの十八番・得意なものを極めようと必死になって取り組んだことが思い出される。それは自分の仕事と密接な関係にあり、むしろ仕事と一体であったように思う。懐かしい良き時代が思い出される。

練習!練習!練習! 平素から鍛えよ!
 
 昭和36年、航空自衛隊で初級幹部に任官した頃は、隊長から宴会となれば先ず前座で何か唄えと当然のごとく順番で指名されたものだ。まじめに仕事一筋で来た者にとっては、生来芸能的なセンスがないだけにさあ大変なことになった。
 これじゃ皆の前で毎回恥をかくことになるので、先手を打って、郷里鳥取の民謡「関の五本松」や「貝殻節」を一生懸命覚えたり、どじょうすくいの真似ごとをしたり、勤務地の地元民謡を覚えたりして自分なりに研究し、芸?の幅を広げ、どんな事態にも対応できるよう即戦・速戦・即応の体制を確立していった。
 同僚のなかには、落語・漫才、さてはギタ−などと芸の幅を広げるものもいた。ひそかに家に帰ってからの練習・修行が始まった。

 隊長の意図・隊員の前に立つには堂々と自信を持て! 鍛える手段! 

  隊長の意図するところは、要するに、余興の歌をひとつ唄うにしても、どんなに多くの人の前に立ってもおじけることなく役目を果たせるようにする。初級幹部を鍛える手段であったのだ。
 そのためには、それなりに平素から練習をして「これだけは人に負けないもの」を持ち、「自信と実力を養っておけ」との親心でもあった。
 当時は訓練を始める前は団結会、終わったら反省会、良い成績を収めたら祝勝会等々ことあるたびに大小の懇親会・宴会が設けられた。もちろん各人負担の自前の宴会だ。

 求められたものは早い話「人に負けない十八番と自信を持て」ということで、毎回全員の前で評価されるはめになった。
 幹部自衛官として優れた指揮統率をするには、職務のことだけではなく懇親会・宴会における歌一つにしても隊員に《さすがだ!》と思わせるものを持つことは必須な事柄であった。
 これが、将来いたるところで役立つようになったのだ。ありがたい厳しい練成であった。

何事もそれなりの精進・努力をすれば結果が出る
 
 それにしても、当時、カラオケなるものはなく、レコ−ドやテ−プを購入し、それなりに資本投資をした。大抵の場合、地声で唄うことになるので、隊歌演習と同じように鍛えた。その成果あってか、どこに行ってもこそこそ隠れたり、トイレに行ったりしないで、ドン−と構えて、お呼びがかかれば日ごろの成果を披露することができた。

 時代とともにカラオケの時代がやってきた。流行歌のなかで自分に合った歌を選び、出来るだけ数多くの場を踏むことに努めた。唄ってみて自ずと自分の声質と声量に合ったものは何か、どれが一番受けがよかったかなどの試行錯誤を繰り返した。
 自分にとって、演歌が一番合うことを悟ったが、選曲がむずかしい。自分でよいと思っても《その曲はどうも合わない》ということもある。

平素鍛えてこそ自信もつき実力発揮!
 
 年齢を重ね、階級が上がるごとに、宴会はもとより結婚式などお祝い事の席に呼ばれることもあり、いつ何時、どんな状況でもご指名があれば、うろたえず、余裕をもって対応する必要があったが、若いころの練習さらには歳の功と経験により自信をもって処することができた。
 顧みると、日ごろの自衛隊における訓練と全く同じだ。いついかなるときにも対応できる基盤は訓練・訓練し・訓練しかない。実力は平素鍛えていてこそ発揮できるものだ。