昭和の航空自衛隊の思い出(165 ) 島田航一元総隊司令官の幕僚準則

1. 幹部自衛官として指揮及び幕僚業務はいかにあるべきか

 昭和30年6月戦後初の航空自衛隊第1期操縦学生207名の1人として幹部学校(同年9月編制改正に伴い操縦学生隊は幹部候補生学校に所属となる。)に入隊・入校した。初代の幹部学校長は島田航一将補であった。当時、2等空士の私にとっては雲の上の高級幹部で入校式に遠くからお見かけした程度であった。

 その後、第1期操縦学生基本課程を修了し操縦課程に進むも操縦適性面から免となり、空士・空曹を経て部内幹部候補生選抜試験に合格し、奈良の幹部候補生学校に入校・卒業した。幹部自衛官としては、要撃管制を志望し、昭和38年9月要撃管制幹部として、晴れて航空総隊の隷下部隊である峯岡山の第44警戒群に勤務した。

 初級幹部の駆け出しの頃の最大テ-マは、「幹部自衛官として、指揮及び幕僚業務はいかにあるべきか」という命題であった。従って、「指揮及び幕僚業務」に関する指針となるものは片っ端から資料収集し、貪欲に自分自身の信念・理念の確立と充実に一生懸命であった。

 当時、私のバイブルは、「指揮及び幕僚業務」と元航空総隊司令官 島田航一空将の「幕僚準則」であった。要撃管制官として、房総半島の南端に位置する峯岡山のADDC(防空指令所)で24時間の警戒監視と要撃管制任務に就きながらこのバイブルを熱心に読み解いたものであった。

 私の指針になったものでは、「幹部学校記事」(のちに「朋友」)であった。参考となる事項が掲載されており、熱心に愛読したものであった。 

   昭和38年8月に発行された「指揮及び幕僚業務」は,その後約10年にわたり航空自衛隊の教育訓練の準拠として大きな役割を果たしてきたが、指揮に関する事項と幕僚勤務に関する事項に区分されることになった。こうして教範「幕僚勤務」が昭和45年3月に、「指揮運用要綱」が昭和46年6月それぞれ制定された。

 ちょうど、指揮幕僚課程学生選抜試験に挑戦したころで、解説を含めて熟読吟味したものである。

 指揮及び幕僚業務は、日常の厳しい勤務を通じて原則理論と実務の繰り返しの中で次第に身についていったように覚えている。階級が進むにつれて勤務経験を積み重ね、自分なりの信念・理念が強固なものになっていった。 

 

2. 島田航一元総隊司令官の幕僚準則

 この幕僚準則は、昭和38年8月航空総隊司令官島田航一空将が当司令部に勤務する幕僚に示されたものであるが、部内では広く配付されており、幹部に任官後よく熟読したものであった。教範の「指揮および幕僚業務」とは一味違ったもので島田空将のすべての経験と英知が詰まっているように感じたものだった。

 「指揮および幕僚業務」教範の意義とその真髄を説かれ、部隊における指揮官の何たるかを問うもので、指揮官と幕僚の関係が明確に区分されていた。更に、幕僚の何たるかが示されており私の幕僚業務の進め方に大きな指針となったものである。

 後年、昭和52年8月、作戦の最高司令部である航空総隊司令部に人事幕僚として勤務するにあたり、改めてこの幕僚準則を 読み返し、執務の指針としたことがある。指揮官及び幕僚勤務に関し時代を越えてうなずける説得力のあるものであった。

 

f:id:y_hamada:20150809111751j:plain

 《 昭和30年6月航空自衛隊第1期操縦学生として幹部学校に入校した当時のアルバムに貼られていたた幹部学校長島田航一将補の写真、海兵55期・海大(18.6)・海軍中佐(18.11)、総隊司令官(36.7.25)     》

f:id:y_hamada:20150809111907j:plain

f:id:y_hamada:20150809112050j:plain

f:id:y_hamada:20150809113529j:plain

f:id:y_hamada:20150809112530j:plain

f:id:y_hamada:20150809114633j:plain

f:id:y_hamada:20150809112711j:plain

f:id:y_hamada:20150809114726j:plain

f:id:y_hamada:20150809112831j:plain

f:id:y_hamada:20150809114915j:plain

f:id:y_hamada:20150809113026j:plain

f:id:y_hamada:20150809113146j:plain

 f:id:y_hamada:20150809113238j:plain

別紙省略