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シニアクラブ(89) 春の信州を巡る旅(4) 奥天竜不動温泉佐和屋

    4月3日~4日,シニアクラブの春の南信州を巡る一泊旅行を行った。わが神原会と神ケ谷の百寿会との合同の旅行となった。宿は奥天竜不動温泉の佐和屋であった。

 最初の印象としては、人里離れた山奥の一軒旅館かと思っていたが、すぐ下の集落は家も多くガソリンスタンドまであった。

 旅館の奥の方からは、湯けむりが上っており温泉宿の風情が漂い情緒豊かであった。女将さんの挨拶、出迎え接待・見送りなどお客様を暖かくもてなす気持ちが溢れていて、スタッフの皆さんの息がとてもあっているように感じられた。

 部屋に一冊の本が置かれており、その中に佐和屋女将さんが寄せられた一文「奥天竜の日なの宿から」が掲載されていた。

   この文中で不動温泉と名付けられた由来や温泉発掘、温泉旅館を立ち上げた背景などを知ることができた。まさに秘湯の温泉宿であった。

 露天風呂も洞窟風呂も体験してみた。料理もすべて残すことなくおいしくいただいた。朝食も食が進みお替りすることになった。満足した一夜を過ごし、飯田の桜めぐりに向かった。

 

 【日本の彩る四季と故郷と】
山里の美しい景色を背景に、 「大浴場」「露天風呂」「洞窟風呂」で不動温泉をご堪能頂けるほか、 山海の新鮮で、安全な食材を活かした旬の会席料理や、囲炉裏料理も、
御愉しみ頂けます。
日常から開放され、穏やかで柔らかな時。 心をほぐす空間が、ここにはあります

{  佐和屋ホ-ムぺ-ジ 出典 》 

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 《 佐和屋女将さんの挨拶 》

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《「女将さんからの熱いメッセ-ジ」と佐和屋女将さんの書いた「奥天竜の日なの宿から」が掲載されていたので、読んでみると思いが伝わってきたので写真にとっておいた。》

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《 お品書きに神原会様、百寿会様 とそれぞれのテ-ブル前につけられていた。》

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《 料理とともに食器のうつわもマッチしていたように感じた。》

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 《 常に湯けむりがあがっており温泉宿の情緒が強く感じられた。》

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《 観光バスに乗る前に、女将さんはじめお見送りの皆さんと記念写真、ありがとうございました。》  

シニアクラブ(88) 春の信州を巡る旅(3) 奥天竜不動温泉夜の宴会

   4月3日~4日,シニアクラブの春の南信州を巡る一泊旅行を行った。神原会と神ケ谷の百寿会との合同の旅行となった。宿は奥天龍不動温泉の佐和屋であった。1日目の旅を終えて、入浴・宴会・懇談とくつろいで旅の夜を楽しんだ。

 宴会は、旅行社太陽観光の村林さんの司会進行で、両クラブ代表の挨拶・乾杯の後はおいしい料理に酒類も加わり、開始からお開きまで途切れることなく、カラオケや踊りの披露が続いた。 

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 《 神原会一行 》 

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《 宴会は、神原会濵田会長の挨拶、 百寿会山下会長の乾杯の音頭で始めた。 》

 

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 《 数年前までは、ざぶとん方式であったが、今は椅子方式に変わってきた。どの会合でも椅子方式が取り入れられるようになった。高齢者にはこの椅子方式の方が楽である。》

 

シニアクラブ(87) 春の信州を巡る旅(2) おんな城主の許婚 ・井伊直親(亀之丞)が過ごした里

1.    おんな城主直虎ブームと歴史ロマンの里高森町「市田郷」

    今年のNHK大河ドラマ「あんな城主直虎」ブームの勢いは大変なものだ。ドラマの舞台となっている龍潭寺及びその周辺は観光客でいっぱいである。

    ドラマの始まりから、子役の演技も素晴らしく、ドラマの展開構成がうまくかみ合わされており、子役の活躍もあって、一気に盛り上がっていった。

    前前々回からドラマの方も、直虎の許婚であつた井伊直親が非業の死を遂げ、女城主直虎が登場した。本格的なドラマの始まりであろうか。その展開が楽しみである。

    南信州を巡る春の旅で直虎の許婚であった井伊直親(亀之丞)が匿われて成長したお松源寺を訪れた。ここではNHK大河ドラマののぼり旗が立ち、訪れる観光客が急増しているとのことであった。私たちが訪れている間にも数組の観光客に出合った。

2.歴史の現場に立つと当時の様子に思いをはせることができる。

 戦史や古戦史を学ぶ時もそうであるが、兵要地誌的な視点からも、地形と山・川・道なとはは重要な要素である。現場に身を置いて当時の事柄を学ぶと理解が容易となるものであるが、今回の南信州を巡る旅を通じて、浜松と飯田地方との歴史的なつながりの背景を理解することができた。

 おんな城主直虎の許婚であった井伊直親(亀之丞)が匿われて成長したお松源寺を訪れり、飯田を中心とした名桜めぐりで、浜松と南信州・飯田地区との深い繋がりを理解することができた。当時としては川と山を越え、谷を越えての生活圏があったからではなかろうか。

 飯田で桜めぐりを案内してくれた桜守さんが「浜松と飯田の言葉は同じです」と語った。やはり訪れて理解し納得するものがあった。

3.「三遠南信地域」と「三遠南信自動車道

 自衛隊を退官して、浜松に永住してからよく耳にしたのは「三遠南信」という言葉であった。関係市長の対談や三遠南信自動車道の建設は新聞紙上でニュ-スとなった。南信州を巡る旅を通して改めて三遠南信の道路交通網について関心を持つことになった。昔も今も道路交通網は、生活・経済・交流・情報の要所となるからである。

〇 中部地方整備局 - 国土交通省ホ-ムぺ-ジによると、 

三遠南信地域

 三遠南信地域の「三」は愛知県豊橋市を中心とする三河地域、「遠」は静岡県浜松市を中心とする遠州地域、「南信」は長野県飯田市を中心とする南信州地域をそれぞれ示しています。

三遠南信自動車道

 三遠南信地域では、かつての秋葉街道や天竜川の代わりとなる「三遠南信自動車道」の整備が切望されています。
 三遠南信自動車道は、長野県飯田市中央自動車道を起点として、静岡県浜松市北区引佐町東黒田の東名高速道路までを結ぶ延長約100kmの自動車専用道路です。三遠南信自動車道の整備により、失われた地域の交通流を取り戻すとともに、県境を越えた広域ネットワークが形成されるものと期待されています。

〇   静岡県のホ-ムぺ-ジによると、三遠南信自動車道の意義を次のように説明しています。

 三遠南信自動車道は、長野県飯田市を起点として、静岡県浜松市北区引佐町に至る延長約100kmの自動車専用道路です。県境を越えた交流や連携を図るとともに、東名や新東名と連絡することにより、広域的なネットワークを形成し、山間部の救急医療や大規模災害時の緊急輸送路としての活用も期待されています。

〇 長野県のホ-ムぺ-ジによると、三遠南信自動車道の意義を次のように説明しています。

 三遠南信自動車道は、飯田市(中央道 飯田山本IC)を起点として、愛知県東部を経由し静岡県浜松市(新東名浜松いなさJCT)に至る延長約100㎞(うち県内約50km)の高規格幹線道路で、一般国道474号の自動車専用道路として整備が進められています。

 中央道、新東名高速東名高速といった高速道路を相互に連絡して、高規格幹線道路ネットワークを形成し、南信州地域と東三河遠州地域の結びつきを深め、航空宇宙産業を始めとする産業振興、観光振興や災害時の代替性の確保などに寄与する道路として期待されています。

4.写真で綴る、おんな城主の許婚 ・井伊直親(亀之丞)が過ごした里・松源寺

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5.松源寺ですごした亀之丞(井伊直親) 出典 高森町歴史民俗資料館「時の駅」

 パンフレットには、井伊氏(龍潭寺)と松岡氏((松源寺)との法縁、氏岡氏(市田)と井伊氏(井伊谷彦根)との関係などがよく整理・記載・説明されており理解しやすかった。

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《 出典 パンフレット高森町歴史民俗資料館「時の駅」》

浜ちゃんブログ(6)  連続1,400日のブログ書き

1. 1,000日連続のブログ書き

  ブログを始めて、1,400日を数えるようになった。毎日連続して書いた日数が1,000を超えている。よく続いたものだと思う。「1,000日」というと特別な響きが感じられるからか、次のことが思い出された。テレビの特集や満行者の書かれた「千日回峰行 (比叡山」であった。

 ブログを続けて書くことは、荒修行と全く関係ないのにどうしただろうか。

2.  思い出された千日回峰行 (比叡山

    比叡山の修行僧の「千日回峰行」という荒修行がある。荒天、雪あられ、体調の悪い日であっても、30kmの山中を山を越え谷を越えて疾走しながらお経を唱え、各所で拝礼する姿が強烈に脳裏に刻まれていたことである。

    一旦修行を志したら千日続け、途中で止めることがではない掟があると言われている。常に懐に短剣を入れて、心身の闘いに打ち勝たねばならない。真剣勝負の荒修行を断念するときには命を絶つという覚悟で修行を続けるとのことである。

    千日回峰行を満行した僧侶は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれ、生き仏として、信者から尊敬され、処遇されている。それだけ厳しい環境を乗り越え、かつ極限の心身の修行を体験したところから、人生の悟り、ものの見方や考え方はもとより、仏教経典の真髄を学ぶに至るであろう。「千日回峰行」の修行を終えた者に与えられる名誉であろう。

千日回峰行 (比叡山)      出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia

千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、滋賀県京都府にまたがる比叡山山内で行われる、天台宗回峰行の1つ。満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。

「千日」と言われているが、実際に歩くのは「975日」で、残りの「25日」は「一生をかけて修行しなさい」という意味である。

7年間にわたって行う。1〜3年目は年に100日、4〜5年目は年に200日行う。

無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発。真言を唱えながら東塔西塔横川日吉大社と260箇所で礼拝しながら、約30 km を平均6時間で巡拝する。

途中で行を続けられなくなったときは自害する。そのための「死出紐」と、短剣、埋葬料10万円を常時携行する。

蓮華の蕾をかたどったをかぶり、白装束草鞋履きで行う。

3.   連続1,000日を超えて

    「千日回峰行 (比叡山) 」とは全く関係ないが、1,000日という単位では共通点であるといえるであろう。

 振り返ってみると、次のことがいえる。

❶ ブログを書くことによって、文章を綴る「書く」という事に抵抗感があまり無くなったと感じている。身構えることもなくなったが、人様に読んでいただくには恐縮することもあり、簡単には書けなくなったように思う。

❷ 日記的なものは、容易であるが、考えたこと、感じたことを表現することは難しい。現職時代のように何人もの幕僚が英知を絞って作り上げる通達・命令と異なって、自己責任で書くことの難しさを感じている。

❸ はるか昔の現職時代のことは、それなりの資料・日記・メモなどがないと書けなくなったことである。自分なりに確認してまとめると結構時間がかかるものだ。

 身辺整理の一環として、ブログを書く始めたが、回想的なことは、ここ1年ぐらいで纏めたいと思っている。

 

 

浜ちゃん日記 濃靄に包まれた浜名湖

  4月9日日曜日6時ごろ起床したら、3日ほど降り続いた雨は止み、あたり一面に靄が立ち込めて遠くの人影や家がかすんでかすかに見える情景が展開していた。

   ふと 頭に浮かんだのは、湖上を飛び立つ水鳥の姿であった。車で⒉0ばかり走り、浜名湖東岸の浜名湖ロイヤルホテルからガーデンパークに至る道路の駐車場所に車をおいて湖面を眺めた。往来の車はライトをつけて通行していた。

     近くには数台の車が止まっており、中には釣りを楽しんでいる姿があった。湖上は濃霧が立ち込めて幻想的な情景がそこにあった。待つこと30分、残念ながら水鳥の飛び立つ様子は見られなかった。

    そこで ガーデンパーク付近に移動し眺めたら、湖上に魚船があり、釣り人たちの姿が見られた。デジカメでは十分にとらえることはできなかったが幻想的な情景であった。次の機会は撮影準備を周到にして出かけることにしよう。

     8時から婦人会とシニアクラブアクラによる毎月の定例の会館清掃が始まるため、早々に引き上げて作業に参加した。すでに霧は消えて、小雨の降りしきる普通の街並みにかえっていた。午後は晴れとなった。

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《 濃霧に包まれた浜名湖東岸の漁船係留場、一羽の鳥が止まった。》

 

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 《 濃霧に包まれた浜名湖東岸、ガ-デンパ-クに至る駐車場付近 》 

 

f:id:y_hamada:20170409073029j:plain《 ガ-デンパ-ク付近から眺めた濃霧に包まれた浜名湖、かすかに数隻の漁船が認められた。》

神原町花の会(花美原会)(241) まちなかの花ラインの形成

 

1.外からを意識した家周り樹木、草花

 今日は、シニアクラブの情報連絡紙である「生き生き神原会」会報を2時間ばかりかけて会員宅に配った。小雨の後であったので一枚上に羽織って歩いたら、暫くすると体内が燃焼したせいか汗ばむほどになってきた。まちなかを歩くと、春がやってきたことを身体が教えてくれる。

 町内を回ると四季折々の変化と各家庭の草花への関心度などがよくわかる。いつものことながら、「まちなかの花ライン」としてどうかと歩きながら注目して観るといろいろなことが見えてくる。

 花壇などを設けても、沿道から見てどうかと、外からの眺めを意識したものと、これとは反対に家の内側から見たものとの二つに分けることができる。これら根底にあるものは、それぞれの立場や生活に対するものの見方や考え方に決まってきているように思われる。 

2. まちなかの花ラインの目指すもの 

 神原町花の会の花いっぱい活動の最終目標は、わが神原町のまちなかが花の点と点が結びついた花ラインを形成し、花と緑に溢れ、道行く人が住み良い明るいまちと感じられるようになることである。」   

    ひと昔前までは、沿道の人々から見えないように自宅を塀・壁で囲み、りつばな庭に花木を植えて家族だけで楽しむ傾向があった。

    10年来、花活動をやってみて感じることは、最近の若い人たちは、 自分たちだけではなく、周りの人や道行く人々にも豊かさを感じさせるよう四季折々の花を植栽する傾向があるように感じられる。とても良いことだ。 花まちづくりの原動力は、町民一人一人の心の中にあるのではなかろうか。

3.今日目についたまちなかの花ライン

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《  沿道から見た家回りの樹木、草花を意識した配慮が感じられた。》 

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《   点であったも沿道から目につくものをとらえてみた。》