81歳老いる雑感(13) 勘違いとど忘れ

    後期高齢者に仲間入りすると、勘違いやど忘れが起こりやすくなるものだ。高速道路で進入路を勘違いして走行するなどは例外として、日常生活において、いろいろな勘違いやど忘れがあっても、多くの場合、生命に関わることでなければ、笑い話で終わることがある。また、他人が関わらないかぎり個人的な出来事として終わることが多い。

   私は ある総会の案内をいただいた。各種の会合の案内を受領したらすぐに返事を書き、近くの郵便ポストに投函することにしていた。

    ある日、出席しますかと主催担当者から電話問合せがあった。すぐ返信したのにどうしたことであろうかと怪訝に思った。当然出席して終わった。数ヶ月後、資料を整理していたら、投函したはずの返信ハガキが出てきた。 返信事項を全て記載したもので、どうして投函しなかったのか全く思い当たることがなかった。投函したという確信的な思いは全くの勘違いであった。勘違いとは恐ろしいものた。

     ど忘れもある。ある会合で出席の回答をした。手帳にメモしていたが、当日は何もないと勘違いし、手帳を確認しなかった。主催者から連絡を受けて、急いで参加したことがある。恥ずかしい限りであるが、これが後期高齢者の持つ特性の一つといえよう。

    こうしたことは、シニアクラブの諸活動において日常茶飯事に起こることがあるが、生命にかかわることでない限り、笑って済ますことにしている。お互いを許しあうことも大切であるからだ。なぜならば、だれでも起こりうる事柄であるからである。お互い様であるからである。

    このなかで問題なのは、勘違いやど忘れによって金銭が絡む場合である。人間関係に影響を及ぼすからであ。例えば、会費制の会合で当日連絡なく欠席した場合など、幹事した経験のある人はこの辺なところかよくわなるであろう。

   後期高齢者にとって、勘違いやど忘れは特別なことではないと思う。歳というものをわきまえて常に身を処することが必要ではなかろうか。しかし消極的になることはない。積極的に前向きに進んでいけばよいと思っている。

浜松鳥取県人会《因伯会)(10) 平成29年浜松鳥取県人会総会及び懇親会

 2月26日、平成29年浜松鳥取県人会(因伯会)総会及び懇親会が、浜松駅付近のプレスタワ-15階21世紀倶楽部で開かれた。

    来賓は、鳥取県名古屋代表部部長門脇誠司氏、東海鳥取県人会会長阿世木博氏、島根県人会副会長村井弘之氏及び島根県人会事務局長星野安久氏であった。

 会員の参加者は、会長小椋靖(三朝)・事務局長徳沢幸人(鳥取)・大谷幹雄(琴浦)・柏木紀子(米子)・草野章次(鳥取)・伊達潔(米子)・中谷伸(米子)・西原純(北栄)・西浦直子(鳥取)・濵田喜己(湯梨浜)・林俊恵(鳥取)・林原弘明(米子)・松本浩子(鳥取)・米田良正(鳥取)の各氏であった。

 少人数であるがアットホ-ムで素晴らしい県人会となった。世の中は広くて狭いものだ。鳥取県倉吉東高校出身の同窓は、私のほか小椋・大谷・西原の各氏と来賓の阿世木氏であった。縁とは不思議なものである。

 

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《 小椋会長を囲んで来賓、鳥取県人会参加者が一緒に記念撮影をした。)

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 《 全員で鳥取県民歌「湧き上がる力」を合唱した。素晴らしい歌である。》

 

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《 小椋靖会長の挨拶、会長を5年間勤められ退任されることになった。県人会の運営発展に貢献された。)

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《 鳥取県名古屋代表部部長門脇誠司氏の来賓挨拶、郷里の状況に加えて、ふるさとへ多数の方が訪れることに尽力くださいと呼びかけられた。〉

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 《 島根県人会副会長村井弘之氏の来賓祝辞、春の島根県人会の浜松城公園の花見参加を案内された。》

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《 東海鳥取県人会会長阿世木博氏の祝辞、大所帯の県人会を率いる院長先生、愛郷心があふれた方である。》

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 〈 日本ロック‘会長米田良正氏が乾杯の音頭を取られた。「日本で一番大切にしたい会社大賞」を受賞された名士中の名士として知られる。》 

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《 新年度から浜松鳥取県人会会長に就任される林原弘明氏、全員の推挙で会長が決定された。》

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《 新年度から浜松鳥取県人会副会長に就任される西原純氏、全員の推挙で副会長が決定された。静岡大学で情報学部長を歴任された教授 》

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 《  初参加の大谷幹雄氏 》

 

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 《 初参加の中谷伸氏 》

 

 

81歳老いる雑感(12)  「立つ鳥跡を濁さず」と身辺整理

1.「終活」という言葉

 高齢者の終末活動を「終活」というのであろうか。就職活動を「就活」と略されるのと同種の造語であるが数年前から使われるようになった。

 ネットで「終活」を調べてもると、総合して「自分の人生の終末のためにする活動のこと。」というのが共通した解釈であろう。自分の葬儀・墓・医療・介護についての要望、身辺整理・遺言・相続などの処理を含んだ包括した言葉として使われるようになったといえる。
 「終活」をテーマにしたイベント・書籍・講演会・説明会・相談会・販売会などのパンフレットをよく見かける。

2.生活の場にある身辺整理

 本欄では、身辺整理、とりわけ自分の生活の場にある日記・手紙・メモ・資料の類の整理・破棄について取り上げることにした。自分にとっていかに思い出が詰まった大事なものであっても、後に残されたものにとっては単なる「ごみ」となってしまうからである。

    後期高齢者」と称される75歳になってから、自衛隊時代~今日まで保存していた書籍、日記・手紙・メモ・資料などすべてを整理し、不要なものは破棄すると決めていたが、いざ実行となると思ったように進まなかった。その原因の最たるものは、自分自身の心にあった。要するに割り切ったはずなのに、まだ割り切れず躊躇するものがあったことである。

 自衛隊退官時、再就職後の退職時、各種役職退任時と節目節目でメモ・資料など破棄してきたが、その後も結構資料等は溜まってきた。

    4年前、がんの発病・入院手術後、ブログを書くようになった。時折、資料等の整理作業をしてきたが、整理しようという強い気持ちがある一方で、あれもこれも使うことがあるかもしれないからと自分なりの理屈をつけて、破棄を保留することがあったりした。

3.「立つ鳥跡を濁さず」本気で取り組み

 私が多少メモ・資料の破棄に躊躇していた背景には、現在書いている「昭和の航空自衛隊の思い出」で手持ちのメモ・資料や日記などで確認するのに必要な時があるのではないかという思いがあった。

 はるか30年~60以上前の思い出を綴ることから、思い出す範囲でいいのであるが、あまりにも間違ったことを書いたのでは迷惑をかけることになるのを恐れたからに他ならない。「昭和の航空自衛隊の思い出」も自衛隊勤務の最終段階に入って、峠を乗り越えてきたので、大方のものは整理破棄できるようになった。

 平成28(2016)年7月、厚生労働省は、平成27(2015)年の日本人の平均寿命は男性80.79歳、女性87.05歳だと発表した。男女ともに過去最高を更新した。

 今年は82歳を迎え平均寿命も越えた。元気なように見えていつ逝っても不思議ではなくなった。「立つ鳥跡を濁さず」は、まさしく日本人の気風にあった言葉である。

この言葉は強く背中を押した。この気持ちを持ち続けたいと思う。

 ここのところ3日ばかり朝から寝るまでひたすらメモ・資料の整理と破棄に努めてきた。破棄の方は手で破るものと簡易裁断機にかけるものとに仕分けしてコツコツと作業を続けた。まだ緒に就いたばかりであるが、暫く休んだ後、新しい整理に取り組んでみたい。

 

 

 

隊友会活動( 27 )  時代を切り開く静岡県隊友会の発展と相談役退任

   平成2年4月航空自衛隊を定年退官して、即日、隊友会へ入会した。平成4年には隊友に推挙されて副支部長となり、桑原善明支部長に次いで支部長、県隊友会西部地区絡協議会長、県副会長を経て相談役となり25年がたった。

 支部長として、県隊友会の御殿場・浜松の東西の二大支部の一つである浜松支部を率いてやりたいと思っていたこと、やるべきことを思い切りやらせいもらったので充実感をもって、次の若杉幸助氏にバトンタッチした。役員活動では副支部長以下の役員の皆さんには積極的に補佐してもらい感謝の一語に尽きる。

    常日頃からこうした役職は、80歳になったら退任しようと考えてきた。体力気力があり、多少余力のあるうちに任を辞することを人生観としていきた。自分の気持ちだけで、他へ迷惑をかけてはいけないとしばらくその機会を伺ってきた。今年は82歳となる事から本年度末をもって退任を決心した。今後は支部において、隊友の一員として活動していきたいと思う。

 今回、先週、相談役もそろって、前田宏会長・副会長・事務局長及び理事が参集し、県隊友会の理事会が開かれ、本年度事業等報告、新年度事業等計画案が報告された。事務局も新陣容で進められた。

 県隊友会の要となる会長には前田宏氏、事務局長は、本年度から長年の大任を果たされた堀秀男氏から明和秀三氏に引き継がれた。静岡県隊友会活動において、前田会長及び明和事務局長が俊腕を発揮されますます発展することを祈念する。

 

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 《 県隊友会理事会 》

 

浜ちゃん日記   市県民税の申告と 所得税等の確定申告

   一 昨日は午前、浜松市の市県民税の申告に出かけた。前夜、申告蔬菜要領を読みながら、申告用紙に所要事項を記載し、申告の証明書類を添付して作り上げた。毎年この時期になると、税の仕組みについて多少なりと勉強することになる。

     前年も同様であるが、申告日は地区別の日割りが決められており、同一日に集中するのを防ぐようになっていた。会場入りは開始時刻より早めに待機したが、あっという間に会場が満杯となるほどてあった。受付番号札の順番に整斉と処理が行われた。

 申告の方は、前夜作成した申告書と関係書類を提示して、担当職員は手際よくパソコンに入力し申告書が出来上がり、割合早い時間で申告が終わった。

 申告書の控えをもらい、自分で作成した申告書と同じであった。私にとってはボケのチェック試験のようなもので、書類の整理・記入・確認を行った。

 ❶ 公報等で周知されているが、市県民税の申告会場なのに 所得税等の確定申告と間違えて来場する人が多く見かけられた。

❷ 申告の本人確認で免許証の提示をし、マイナンバ-を記入したが、今後のことを考えるとマイナンバ-カ-ド作成が必要であることを感じた。

❸ 従前、電子申告(e-tax)でして税務署へ確定申告をしていたが、ここ数年、市県民税申告に切り替えた。次回からは電子申告(e-tax)で処理することにした。確定申告の結果は市へ通知され県民税の申告を要しないからだ。.

神原町花の会(花美原会)(233) 寒冷期の花畑と自然環境

  神原町花の会(花美原会)の管理する花畑は、花壇とポピー畑からなる。環境は厳しく、吹きさらしの寒風で、一般の草花は縮みあがっているが、その中で寒さに負けじと咲き誇る花種もある。

 自然界はよくできたものだ。いつの時期も環境が整うまでじっと我慢をし、時期が到来すれば一気に成長し、花を咲かせてくれる。

 毎日一回は訪れて様子を見ている。「元気にやっているか」「調子はどうか」と投げかける言葉は大体同じで、いたわる気持ちに変わりがない。そうはいっても、管理は、基本的に自然のままとしている。今一番ほしいのは適度の雨と気温であろう。

 

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 《 オキザリスが輝いていた。 》

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   《 冬場はノースポール(クリサンセマム)が活躍している。》 

 

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 《 沿道のラッパスイセンが芽を出した。4月になると今年の新入生を励ましているが今年はどうであろうか。》

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 《 花壇の外側に植えたチュウリップは芽が出始めた。》

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 《 千鳥草 》

 

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《 ポピーの生育は順調であるが、仏の座など雑草が一緒になって成長している。寒冷期でそのままにしている。3月に入れば草取りを始めることになるでしょう。》

昭和の航空自衛隊の思い出(420) 東京勤務の様々な出会い(6)  各種会合への積極的な参加と交流

    東京勤務の様々な出会いの結びは、春日基地における出会いと交流であった「粥川知美女史を囲む会」を取り上げることにした。空幕勤務後の次の補職は航空自衛隊調査隊副司令を命じられた、引き続き、六本木の防衛庁施設内で勤務したことから、私が幹事長となって在京の有志を募り粥川さんとの語らいの場を設けたことであった。

粥川知美女史を囲む会

    平成2年1月のある日、粥川知美女史が上京された折、わたくしと北村善信氏、甲元孝和氏が幹事となって、運輸省共済会館の平河会館で粥川知美女史を囲む懇親会を開いた。主として春日基地等で親交のあった人たちを主体に集まった。粥川さんが楽しそうにみんなと歓談していた様子が今でも脳裏から消えないほど強い印象が残っている。

 各基地での部隊勤務には、このような勤務地における様々な出会いと結びつきがあった。粥川さんが春日基地で勤務した人たちを結び付けてくれたのではなかろうか。人と人との不思議な縁というものであろうか。

 参加したメンバ-は、篤志・正信恭行・日下喜伴・原田武久・柳谷均・近藤将充・望月靖夫・緒方菊男・牛追利勝・作本隆・濵田喜己・北村善信・甲元孝和の各氏であった

粥川女史との交流については、次のブログに記した。

2016-06-29   昭和の航空自衛隊の思い出(305) 女性の立場から防衛基盤確立の先覚者粥川知美女史

 粥川さんは、ライフワークとして、有志とともに福岡県防衛協会女性部会を設立、女性の立場から我が国の防衛について理解を深め、健全な防衛思想の普及に努められた。平成25(2013)年3月20日に亡くなられた。(享年79歳) 

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 《 粥川さんを挟んで、右から谷篤志元航空幕僚副長・空将と正信恭行元西警団司令・将補 》 

 

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